『 瀬をはやみ
岩にせかるる瀧川の
われても末に
逢わんとぞ思ふ 』
小倉百人一首の一つ、
きっとご存知の方も多いかと。
川の流れが速く
岩で二つに分かれてしまっても
また一つに合流するように
今は離れ離れになってしまっても
いつかきっとまた逢いたいと思う。
作者が崇徳院と知れば
単なるロマンティックな歌とはとても思えませんが
当時は『はいからさんが通る』の
紅緒と少尉の悲恋に目をハートにしていた頃。
書道の仮名文字のお題に選ぶほど好きだった故
これだけは今も諳んじています。
唐突に何を言いだした??
人とのご縁だけではなく
神社仏閣とのご縁にも通じるものを感じ
ふと思い出したのです。
ものすごく密に伺う時期は
あんなにありがたく幸せだったのに...
そう感じられないことを寂しく思ったり
なんとなく後ろめたさを感じてしまったり。
そんなことありませんか?
5年程前、旧ブログで書いていました。
<一部抜粋>
大学時代、そして、社会へ出ても、しばらくは足しげく通っていました。
弥勒菩薩さまに会いに行く気分で。
当時は、会うと必ず泣いていたなぁ... それもボロボロと号泣 笑
泣かなくなったのは、ここ数年のこと。
はっきりといつとは覚えていないのだけれど、
それまでは慈悲深く、悲しげに憂いているようにしか見えなかったお顔が
ある時初めて、微笑んでいるように見えた時がありました。
私的にはかなりの衝撃でした。
そしてその時以来、何度か会いに行きましたが一切涙は出ず...
さらには、京都へ行っても会いに行かないことも。考えられない変化。
(中略)
人はそこそこ多かったですが、静かな霊宝殿。
近くでご挨拶した後、いつものように椅子に腰かけ、
ぼーっと弥勒菩薩さまを眺めていたら...
(笑 わざわざ来なくてもいいですよ。いつも近くにいるでしょ。)
え...
そうなんです。我が家の和室の小さい床の間に、
こちらで求めたポストカードを額に入れて飾っているのです。
なるほど。それで身近に感じられていたのかも...??
気がすむまでぼ〜っといさせてもらい、
またいつか...とご挨拶をして出てきました。
次の場所へお行きなさい
と背中を押して 送り出してくださっている
のかもしれませんね。
人とのご縁も
神仏とのご縁も
その時々で導かれるままに... ✨