Healing MANI

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リーディングセッション・ひぷのセラピー

価値観について眺めたり、捉え直したり...

昨秋の京都旅の過去記事をリンクしようと探したら

なんと、下書きのまま

いや、正直に言うとタイトルだけが下書きに残っていた。

ほぼ個人的アルバムと化しているFacebook

その時の写真をアップして、済んだことにしていたのだ。

 

それ以外も、びっくりするほど下書きに溜まっている...💧

 

満月が近いせいか、放出したい気分が高まっているので

イムリーではなく、いささかの違和感が残るかもしれないけれど

UPしていこうと思う次第。(何度目の決意...😅)

 

まず手始めに...

1年程前にFacebookに書いたものを。

 下書きからじゃないんかい!   だって見つけちゃったんだも〜ん  :p

 

⚠️長文ご容赦⚠️

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2021年7月9日

 

8年前の今日。

コメントしてくれた友人の言葉を借りると

"めずらしく語って"いました。

 

すっかり忘れていましたが

今読み返しても興味深い為末大さんのツィート。

人生のフェーズが変わったからか

そこから受け取ることは

以前とは少し違う気はするけれど。

 

当時書いていたように

「価値観について眺めたり、捉え直す...」

ことは私なりにしてきたのかな。

そういう作業をこれからも続けていきたいな

と思った次第です。

 

2013年7月9日

 

昨日、糸井重里氏のあるリツィートに目を引かれた。
 
「幸福感が薄い人の話を聞くと、許せないものと恨みと比較と正義の話が多い。揺るぎない価値観を持っていてその視点から離れる事ができない。価値観で人を裁きながら、でも最も根本の部分で自分の人生をその価値観で裁いている。こんな自分を許せていない苦しみが外に出ている。」
 
daijapanって、誰だろ?
 
・・・為末大さんだった。なるほど。早速、フォロワーとやらになった。
毎日、あるテーマについて連続ツィートされていることを知った。
ちなみに、このリツィートは【幸福になりたがらない人々】の連続ツィートのひとつ。
反論(になっているか否かはさておき)も当然あり、その返しを読んで、改めて、この人は武士、修験道だ…と思った(^^)
 
 
先日、N氏が「アスリート魂」の録画を見ていた。阪神、藤波投手の回だった。彼が録りためた番組をまとめてチェックする時、一緒に見たりするのだが、一度ふるいにかけられたものを集中して見る機会は意外と便利で楽しい。
そう、その時も話題になったのだが、超一流のアスリートたちは皆、武士や修行僧、修験道を幾度となく経験してきた魂だ、と思う。理屈などないが、そう確信している(笑)
 
 
話を戻して...
今朝のdaijapanのテーマは「価値観」
昨日の連続リツィートに対する意見への返信、補足にもなっている。
 
 
「おはようございます。今日は【価値観】について
 
揺るぎない価値観を持っているからこそ、足りないという思いが強いからこそ、人は成功できる、という返信が昨日あった。人生の中で不条理に面したり、悔しい負けたくないというエネルギーで成功した人は多いと思う。価値観も定まっていればぶれにくい
 
成功者には一定数こういう人がいると思う。けれど成功というものの定義が上位数%の話である以上、一定数の揺るぎない価値観の人はそれでも成功しない。若い時は時間があるという理由で成功率を多めに見積もれるけど、ある年齢からどうも大成功はしそうにないこれからを受け止めなければならなくなる
 
それでは人を幸せにできないという話があった。幸せにする事は義務であったり、正しい事であるという価値観で生きている。それを自己内で抱えて苦しくなければ問題ないけれど、それが他人に向き始めると人生が苦しくなる。多くの場合、自分の期待に応えられていない自分がいる。
 
価値観には二種類あって、外からそっくりもらったもの、自分で考え練ったものがある。前者の揺るぎない価値観が一番苦しい。勉強ができて偉い、人の役に立って偉い。昔、親や社会から押し付けられた価値観で自分を縛っている。
 
人の役に立たねばならない、立派にならねばならない、成功しなければならない。本当は何もなくてもいいのに、自分を揺るぎない価値観で縛っている。押し付けられた価値観を眺める作業が一度でもあれば違うのだけれど、それができない人は自分を裁き続ける。
 
【終わり】人生の前半で押し付けられた価値観をどう捉え直すか。自分しか変えられないと腹をくくれるか、それとも外に向け続けるか。自分を最も裁いているのは自分」
 
最後にこんなコメントも付け加えられていた。
 
「人生の前半で押し付けられた価値観を捉え直すことこそが「自立する」ということのように感じました。尾崎豊の「卒業」の歌詞の「この支配からの卒業」の支配とは何かについて論じられることがありますが、この「人生の前半で押し付けられた価値観」なのではとも思いました。」
 
 
自分を振り返ると、彼の言う「自立する」ことを始めた自覚があるのは、結婚して、息子を授かってからのように思う。私の思春期はいずこに...それに、人生の前半に入るのかなぁ(笑) 
いまだに残骸と格闘していることもあるし、残骸と思っているものも、実はまだ氷山の一角かもしれないし...
そう言えば、「ぶれない自分」になりたいと強く思っていた時期もあったなぁ。確かに自分自身を裁いていた、裁いている?(^^;)
価値観自体に良し悪しがあるわけではなく、それがどう働いているか、なんだなぁ。。。 
まだまだまだまだ修行中の身だけれど、価値観について、眺めたり、捉え直す機会を持てていることはよかった。
あ、ずっとそういう作業を続けていきたいなぁ、ふとそんな風にも思った。
 
そういう風に捉えてみると、息子の思春期のわけわからん!状態さえも、もう少し穏やかに応援しつつ見守れるのかもしれない、かな。希望的観測(*^_^*)