Healing MANI

Healing MANI 

リーディングセッション・ひぷのセラピー

親も子も... つまるところ自灯明🔥

実はこの記事、一度UPしたんです。3月21日 お彼岸の御中日に。

でも、なぜだろう、なんだかソワソワして

すぐに引っ込めてしまいました。

寝かせる必要があったのかな。。。

 

今はもうダイジョウブみたいなので

改めてUPします。

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『昨日、晴れて小学校を卒業した息子。

 今日から父子ドライブ旅行に♪

 

 受験勉強中から約束していた、春休みのふたり旅。

 行きたい場所や予定は全て息子が決める。

 歴史を勉強した成果か

 はたまた「戦国BASARA」とかいうゲームの影響か

 (間違いなく後者だよね)

 城めぐりの旅。

 まずは小田原城から攻めるらしい。

 

 「小田原城緑がいっぱいだったよ⤴︎⤴︎⤴︎」

 

 というメールが ♪

 この先、息子の世界も広がっていき

 こんな旅はできなくなるかもしれないね。

 スペシャルな時間を満喫してきてね〜♪♪♪ 』

 

ちょうど10年前の出来事だと

昨日、Facebookが知らせてくれました。

 

当時住んでいたマンション駐車場から見送ったこの光景。

今でもはっきりと覚えています。

 

これがきっかけだったのかな。

昨夜、お風呂で久しぶりに母が思い浮かび...

 

 

私自身の中学受験。

ありがたいことに私立と国立と選べる状況で

 

「どちらにする?」

と母に聞かれ

「○○(国立の方)にする。」

と即答。

 

理由は恥ずかしいほど単純。

その私立校の制服が全然可愛くなかったから。

さすがに伝えはしなかったと思うけれど。

 

母も、理由を聞かなかったんだよなぁ。

 

当時、同じ立場だったらその私立を選ぶ人の方が多かったかも。

入学金など全て手続きは済ませていてくれただろうと、今ならわかる。

なのに、何も言わず、理由も聞かず

母はただ私の希望通りにしてくれた。

 

選ばなかった方の世界線と比べることはできないけれど

制服で選んだ世界を、私は気に入っている。

 

母は当時、何を思っていたんだろう。

何か言っても無駄と思っていたのか...

女子校よりも共学が合っていると思ったのか...

学費の面ではホッとしていたかな...

ただただ尊重してくれたのか...

母はどんな世界を見ていたんだろう。。。

 

 

 " 愛されて育ててもらった実感はあるけれど

   私が望む愛され方ではなかった。"

 

いわゆる思春期を、あまり考えずに通り過ぎてしまった私は

第二思春期(40代前半 占星術的に言うところの"中年の危機")

大いにぶち当たり、こんなことを思ったりしていました。

相当こじらせていましたね💧

 

そんな時期を経て

息子もほぼ手を離れ

気づけば、全く違う感覚で母を想うようになっています。

 

昭和一桁生まれ。

物心つく前に母を亡くし、世代的にもきっと...

手探りで 家族を創り、守り、私たち兄妹を育ててくれた母。

 

こうして書いている間にも

とりとめなく色々な記憶や想いが...

 

でも母がどんな世界を見ていたのか

わかるわけもなく... 

きっと、その必要すらもなく...

それは、お互いさまなことで...

 

と、自分と息子にも重ねてみたり...

 

 

 

『 私の子なんだから だいじょうぶ 』

 

「かーちゃんの、なんの根拠もないこの言葉が

 自分の中にいつもある。」

家人がそう話すのを何度聞いたことでしょう。

きっと今も、家人の "御守り" なんだと思います。

件の魔王のような父を持つ家人は

自他共に認めるマザコンでもあります。

 

 

そんな家人は

 

「親は自分の考えを伝え続けるだけ。」

 

私が思春期の息子との関わり方に悩んでいた頃

よくそう言って

ことあるごとに息子と話をしてくれました。

 

息子と家人は全然タイプが違うから

そんなの全然響かないよ!

と私が食ってかかっても

 

「それでもいいんだよ。

 反発も共感も

 親が示す考えを基準に子は考えられる。

 基準がなかったら難しいから。」

 

たしかに... 納得してしまいました。

 

 

 

人生の初期段階、無垢な状態で

否応なく その価値観に触れるのが

多くの場合、親なわけなのですが...

 

ただそれは、あくまで"目安の線"に過ぎなくて...

 

その後、たくさんの価値観に触れていく中で

書き足したり、消したり、全く新たにしたり...

好きなように自分の線を引いていけばいいんですよね。

 

だから

 

子どもの立場で

 こんな線を引かれたせいで...

と思うことは全くなくて。

 

そもそも

子ども自身のフィルターを通して見た親の在り方を元に

子ども自身がその線を定めているかもしれなくて。

 

親の立場になった時も

 この線を基準に生きなさい!

なんてもちろん言えるわけはなくて

でも

 こんな線でごめんよ...

と思う必要もなくて。

 

親だろうが 子だろうが 自灯明🔥

自分が良しとする在り方

自分らしく在ることだけに邁進すればよい

というか

それしかないのだな。

 

元の"目安の線"を意識しなくなった時

それこそが、本当の意味の自立なのかもしれないな。

 

 

・・・そんなことをつらつら思うお彼岸 御中日。

 

いよいよ とりとめなくなってきたのでこの辺りで。